コンピュータ環境 (2001/1)

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時系列・環境の変遷


 

2001. 1.31 (Wed.)
Harry改、大体終了

 いろいろ考えて、結局 Harry はれたっちそうと専用機として様子を見ることにしました。

 一番の理由は Iris がほぼ安定稼働していて、れたっちそうと以外に特に不満がないからです。それと、この新しい Athlon マシンに対して今一つ信頼感が持てないことがあります。わたしはこういうことに対しては極端に保守的なので、もう擦り切れてつつきたおされまくって枯れきっている Soket7 の方が、新しいコンセプトの Athlon や Duron より好きなのです。
 というわけで、Iris から、Wacom のタブレットと、15 GB HDD を取り外し、これをひとつずつ順番に、再起動しながら Harry に装着しました。どちらも問題なく作動確認。

 15 GB HDD には、いくつかアプリケーションがはいっていたので、これは Program Files フォルダをまるごと Iris の当時の E: に複写しておきました。15 GB HDD は、領域1個のスレーブなので、これを取り外すと E:〜G: のドライブは番号がひとつ繰り上がります。だから、レジストリに登録されているプログラムは E: に複写しておけば、新しく D: になって問題なく動くだろうと考えたわけでこれは的中しました。
 そして、15 GB HDD の Program Files フォルダはレジストリに関係しないプログラムを残して、ほとんど全部削除しました。基本的に、Harry のプログラムは C: に置くことにします。アプリケーションはほとんど入れていません。これから入れる予定のものは Norton Disk Doctor と 筆まめ v.11 のフォント、それに WXG くらいです。さすがに FEP は馴れたものでないと作業がはかどりません。

 一方 Iris は、残った 6.5 GB HDD に少々手を加えました。ドライブが1個減る関係で、職場のマシンとデータ交換している妖しいメモリ・カードのドライブ番号が変るのがまずいのです。職場および現在の Iris のメモリ・カードは H: で、これのバック・アップを J: の Zip ディスクと E: のサブ・フォルダの2ヶ所に取っています(すごいでしょう)。ちなみに E: のサブ・フォルダは毎月1回 CD-R に焼いています。
 ところで、H: のサブ・フォルダには ACCESS データ・ベースがあり、これは例によってデータの MDB とプログラムの MDB を分離してあって、プログラムの MDB から データの MDB テーブルにリンクを張ってあります。で、どうもこのリンクのはりかたが、ドライブ番号の絶対指定のようなのですね。すると、H: のプログラム MDB から H: のデータ MDB にリンクを貼った MDB を丸ごと E:に複写すると、複写された E: のプログラム MDB はあいかわらず H: のデータ MDB を参照するのです。
 基本的に、バック・アップは本番データと同じですから、もしも E: のプログラム MDB を開いたときに、H: にデータ MDB がはいっていれば、正常に作動します。もしも H: にデータがない(=メディアがはいっていない)と、いったんプログラム MDB のリンクを全部削除して、同じサブ・フォルダにあるデータ MDB にリンクを張り直さなければいけません。これけっこうめんどうなのね。

 だから、Iris のメモリ・カードが専有するドライブ番号と職場のドライブ番号を一致させておくことは結構便利なのです。というわけで、Fdisk で E:, F:の領域をいったん解放し、改めて3分割して G: を作りました。
 ここで、Fdisk 操作の意外な盲点を再認識。
 領域解放したり、ドライブ作成したりした後、Fdisk は、システムを再起動するようメッセージを表示し、実際にシステムを再起動するのですが、実はこれでは十分ではないのです。いったん電源切断し再投入しないと、システムは新しい環境を完全には認識できないようです。これは、前回どれかのマシンを組んだときにも書いた覚えがありますが、Alt+Ctrl+DEL による再起動や、システムによるソフト・リセットは、あきらかに電源切断・再投入とは動きが違います。
 ソフト・リセット後に領域確保したドライブを初期化した直後、そのドライブには long name がつけられませんでした。また、SCSI のカード・リーダも、メディアのはいっていないドライブを認識しませんでした(従来は空のドライブでも番号を付与していた)。しかし、そのままの状態でいったん窓を閉じ、電源切断して再投入すると long name を受け入れるようになりましたし、空のドライブも認識するようになりました。

 さて、Iris はれたっちそうと以外のすべての作業を継続することにしましたが、なんかあまりにもったいない気がしないでもないので、様子を見ながら少しずつ Harry に機能を委譲しようかと思います。いつのことになるかわかりませんが、MODEM、SCSI ですね。で、Iris は CD-R 焼きとサウンド関係の専用機にする、と。そうなると、SCSI はボードを新規に調達する必要があります。できるなら Iris にも大容量の HDD が欲しいので、この計画の実施はまあ今年中が目処になりそうです。

2001. 1.29 (Mon.)
Harry改に着手

 一週間放置していた M/B と MPU ですが、雪で外出もままならず、ついに重い腰を上げて Harry の M/B を撤去しました。EPOX から EPOX に交換です。

 この作業をためらっていた最初の理由は電源でした。Athlon, Duron 系の石は電源がよくないと保証しないとかいろいろ脅かされていたので。
 この際だから、起動しなかったら月曜日に電源手当てするしかないか、と。
 もともと Harry は、グラフィクス・カードのほかには NIC があるだけで、4.3 GB HDD, CD, Diskette で終わりという単純極まりない構成なので、気無づかしい VIA でも何とかなるかもしれないという希望もありました。
 さて M/B を交換し、MPU とファンを装着。メモリは前回 Iris からあまった 32 MB DIMM 1本構成です。電源と各種スイッチ・コードを結線、ディスケットと IDE のケーブルをさして、準備万端整えて、外装ははずしたままの状態で通電してみました。見事に起動に成功。
 気を良くして MS-DOS のディスケットから、4.3 G HDD の初期化を試みます。Fdisk で、Storm Linux の領域を解放、DOSの基本領域を 2GB, 1.7GB, 600 MB と3ドライブに切り分けて、さらに最初の 2 GB をシステム付で初期化しました。

 さてこの状態で HDD から起動するとどうなるでしょうか。ご存じの方は「うぷぷ」と笑ってやってください。Storm Linux の初期画面が表示され、root がマウントできないというパニック・メッセージを表示するのです。LILO が死んでないのね。

 Linux の領域開放は、Linux の Fdisk にあたるコマンドでやらないといけないのか、と一時は頭を抱えました。とあるメーリング・リストに投稿しようと文面まで作ってはたと思い出したのが、Fdisk /MBR。
 確証はまるでありませんが、なにやったってこれより悪くなることはない、と実行。見た目なにも変わりませんが、ディスケットを抜いて再起動すると見事に MS-DOS のプロンプトを表示してくれました。第2段階も突破です。

 CD のデバドラを入れて、CD を認識できるようにし、おもむろに95式窓 OSR2 のインストールにかかりました。まず、グラフィクス・ボード以外の全部のボードを抜いて(といっても NIC だけですが)、PCI のかのぷす 4 MB グラフィクス・ボード (そういえば、こいつは Frederika に買ってやった、現存する最古のパーツだ)だけの構成にして、CD から Setup を実行、プログラムのインストールはさくさく進んでお定まりの Reset。さてここで第3の関門が。
 「Windows の再起動に失敗しました」おお、Athlonよ、お前もか! AMD 系 450 MHz 越えの MPU と 95式窓の相性から出るメッセージです。いったん MPU のサイクル・タイムを 300 MHz (以下)まで下げて、窓を起動し、M$ から提供されている Patch を実行する必要があります。

 普通の M/B はジャンパの変更でサイクル・タイムの変更に対処するのですが、この M/B は、サイクル・タイムの変更を BIOS から設定できます。さっそく再起動して BIOS に行き、設定画面を出した。サイクル・タイム倍率の範囲は、5.5倍〜12倍。((木玄火暴))。Base Clock 100 MHz ですから、最低でも 550 MHz までしか落ちないよ(涙)。

 つまり、ナニかい、この M/B では、95式窓は永遠にインストールできないと言うことなのかい、と又しても頭を抱えました。しかし、例によって「失うものはなにもない」という特攻精神から、何を考えたかもう一度そのまま BIOS を終了して起動してみたのです。すると、な、な、な〜んと例の窓起動メニュー、1 ... なんちゃら〜 3 ... Safe Mode 〜が表示されたではありませんか!Soket 7 系ではこういうのは出なかったと思うぞ。
 こいつはいただきだ、と Safe Mode で起動。Iris のハード・ディスクに保存してあった M$ のパッチをディスケット経由で持ってきて(240 KB くらいのもの)実行させ、再起動すると見事にインストールを続行してくれました。

 失うものがないというのは強いものだ、となんか訳のわからないことを再認識しながら、続いて VIA 提供の 4 into 1 プログラムをインストール。これも無事終了しました。実は、去年の MX-59Pro では、この次の段階でディスプレイのモード設定ができなかったのですが…前回は、グラフィクス・ボードが M/B オン・ボードのAGP。今回は、ボードが PCI。これに賭けて作業を続行。第4関門のモードの変更(1280 * 1024 16bit カラー)の設定にも成功しました。
 ちなみに、EPOX の FAQ では、95式窓における AGP グラフィクス・モードのメモリ・コンフリクトの問題は、M$ は、98式窓において解決済み、と報告されています。たしかに、Grace も Iris も、AGP を使ってはいるが、M/B は GIGABYTE だ、ううむ。
 この世界、奥が深くて(はっ禁断の台詞が…)

 続いて NIC です。電源を切断し、NIC を装着。ドライバのディスケットを捜してきて(どうして捜さなくちゃないんだろう、ボードは5枚も稼働中で、封を切ってないものさえ1箱あるのに…)、電源を再投入。PinP が NIC を検出しました。ドライバ用のディスケットを挿入、続いてプロトコルなどの設定もすませ、Harry は無事ネットワークに復帰しました。ディスクの共用で Iris の内容を見ることも、IE でインターネットに出られることも確認。

 ここまでやってつかれました。まだアプリケーションをなにも入れていませんし、プリンタの設定もまだ。Iris の全機能を持ってくるかどうかも決めていません。CD-R を焼いている間はほかのことができないので、SCSI を使う機器は全部 Iris に残そうか、とも思っています。
 SCSI につながっているのは、イメージ・リーダ、ZIP、CD-R それと スマート・メディアの R/W です。こうなると、CD-R を ATAPI にしておかなかったのが悔やまれます。
 SCSI もう1枚買えばいいんだろうけど、今はかなり経済的に逼迫しているのでなるべく追加の投資なしにすませたいのです。すると、当分の間 Harry の仕事はほんとうにれたっちそうとだけになって、年2回使うだけになります。もったいない気もするけど、はっきりいってれたっち以外で Iris のスピードに不満を感じたことがないし。

 これから、どうやって使っていこうか思案しているというところです。ただ、少なくとも、タブレット (Wacom) は Harry に移設し、メモリは 256 MB + 128 MBに、Iris のメモリは 128 MB + 32 MB にするつもり。
 最後に、Iris の D: ドライブを Harry に移設して一段落にしようかな、と。D: には、Program Files フォルダがあって、フリー・そうとがかなりはいっているはずなので、これを現在の E: ドライブに複写しておけば、Iris から D: をはずせば現在の E: が D: になって、ちゃんと動くのではないか、と期待しているのですがはたしてどうなるか…

 作っていて、心ときめいてすぐに好きになる機械と、最初はなんとなくよそよそしくて、使っているうちに情が移っていく機械と二種類あり、Harry改は明らかに後者でした。実は Iris もそうでした。どうも、GIGABYTE より EPOX の M/B の方が好きみたいです。とはいえ今回は EPOX でもあまりときめいていません。まあ使っているうちにじわじわと気に入っていくものなのですけど。

 それにしても、キー・ボードとマウスが2こずつ並ぶというのは実にうざったいものだと思いました。やっぱり全部の機能を Harry に移植すべきなんだろうか…
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2001. 1.24 (Wed.)
忘備録

 このところちょこちょこと環境をいじって、書き忘れていることについてまとめておきます。

  • プリンタ・サーバの電源スイッチ ... 常時通電させる必要はない、という理屈で、2台のプリンタとそれぞれのプリンタ・サーバの電源を、スイッチ付きの中間コンセントをかませたコンセントに入れました。印刷するときは、まずこのスイッチを入れて、それからプリンタに電源を投入します。
     これをやると、ネットワークは一瞬の間指定したプリンタが見つからず、印刷に失敗することもありますが、数分待てば大丈夫。これで少しは節電の役にたったかな。
  • マウスを交換した理由 ... 実は、運転中に急にカーソルが勝手に画面を飛び回り、開いているのも閉じているのも見境なしにウィンドウの大きさを変えたり整列させたりしていたのです。わたしはこれを密かに「カーソルのタコ踊り」と名づけていたのですが、さすがに使いにくいことに辟易して対策を講じたのでした。
     最初に考えたのはメモリの増量が原因ではないかということだったのですが、そのうち、「タコ踊り」はマウスを1回左クリックすると止まることに気付きました。もしかしたら、内部でマウスの信号が暴走しているのではないか、そういえばこのマウスはかなり古い…というわけで、メモリの減量の前にマウスを交換してみたのでした。
     結果、交換後まだそんなに長い時間運転しているわけではありませんが、少なくとも「タコ踊り」は1回もしないので、まあ正解かな、と思っています。
     それにしても、突然画面が閉じてスタート・メニューがポップ・アップし、実行中の窓が同じ大きさに整列するなんてことは、結構長いあいだ窓のプログラムを使っていたつもりでしたが初めての体験でした。
  • マウスの延長コード ... 今回 2m の延長コードを使いましたが、これが何段つなげられるかという話しです。LAOX で店員さんに聞いてみたところ、「お客様で、3本つないだら動かなかったという話を聞いたことがあります」とのことでした。では2本ならどうかということになりますが、これはわたしの客先で正常に作動しています。ただ、もちろん保証外の使い方になるので2段でも動かない場合はあることでしょう。ちなみにその客先ではキー・ボードの延長ケーブルも2段で使用しています。

 大して重要な話題ではありませんが(なんて書くと普段は重要なことを書いているみたいだ)なにかの参考にしてください。
2001. 1.29へ

2001. 1.22 (Mon.)
マウスの交換。

 最近、どうも Iris のマウスの調子がよくないので新品を買ってきて交換してみました。ELECOM の .98K の2ボタン。
 いやあ、新品は実に調子がいいですね。考えてみたらこれまでのマウス、Frederika を買ったときについてきたものでしたから、1996 年の正月からちょうど5年間使いつづけていたのですねえ、あらためて年数を勘定してびっくりしました。
 だいたいマウスなんて消耗品だと思っていましたから、会社のものは少しでも調子が悪くなるとぽんぽん新品と交換していました。ひるがえって自宅での使用にこれだけがまんしてきたというのはどうも機器に対する愛着以外では説明ができません。

 しかしそれももはや限界ということで交換してなにもかもしあわせな気分になりました。ついでに 2m の延長ケーブルも追加して、今まではきちきちの長さで使っていたのも余裕たっぷりにしました。ああ嬉しい。

 ついでに、Leah のマウスの取り回しも窮屈なことに気付いていましたのでそちらも 2m の延長ケーブルをつけました。家族は大喜びです。

 さて、一方新しい M/B と MPU がにうしゅできました。これのにうしゅ経路はあまりくわしく書けないので詳細ははしょりますが((汗))、EPOX の EP-8KTA-3 と、Athlon 1.1 GHz です。
 M/B は、ISA スロットをもっていたのが決め手になりました。実は、いまだに US Robotics の SportStar 28.8 FAX/MODEM を使用しているのです。使用目的は FAX の送信のみ。しかし、便利なので手放す意志がなく、最低1個の ISA スロットにこだわったのでした。これが大失敗(かもしれん)。チップセットが VIA だった((木玄火暴))。
 半年前に95式窓のインストールをついにあきらめた、MX59Pro と同じ、VIA だった。98式窓なら問題なくインストールできる VIA だった。
 98式窓は、標準では FAX 機能を削除してしまっているのです。そら、CD の中には無保証ではいってはいる(場所は忘れた)けどさ、ああ面倒くさい。
 わたしは95式窓のシンプルな i/o になじんでいるのだ。なんだって今さら98式窓に移行せなならんねん、ああ、腹立つ。

 ともかく、Harry から一時的に Storm Linux をはがして、これの筐体、HDD などを流用して作ってみようと思っています。ま、まず95式窓で試してみて、もしもうまく動けばお慰み。
 いずれにせよともかく動いたら、また新たに筐体調達して ex. Harry の M/B とかであらためて Linux 作りなおしです。で、Iris は、CD-R 焼き専用にすればいい、と、だいたいの構想はまとまってきました。
 それにしても VIA だったとは…機種決めてにうしゅしたあとで気がつくんだから、わたしも本当にアホ…
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2001. 1.11 (Thu.)
オーディオ・サンプリングの末路

 問題がふたつ残りましたが、ともかく CD-R に焼くことはできました。

  1. 音の入力レベルが低い
  2. 音飛びがある

 1. の問題はどう解決したらいいものか見当がつかなくて困っています。まあ、ボリュームを上げればそこそこ聞けるのですが、通常の窓サウンドがびっくりするほど大きな音になってしまってやっぱりまずいです。
 2. については、多分マルチでいろいろいっしょに動かしていたためではないかと想像しています。今度はシングル・タスクでサンプリングしてみようかなと思っていますが、どちらにしても入力レベルの問題が解決しないとだめなような気がします。
 どうしたら入力レベルを上げられるのか、どこで調べたらいいのかも分からない状態で、時間かかりそうsigh
2001. 1.22へ

2001. 1. 5 (Fri.)
オーディオ・サンプリング

 昨日書き忘れましたが、年末の休暇中に、オーディオ装置から音の取り込みができるようになりました。
 原因が分かってしまえば簡単で、オーディオ・アンプの「Record Out Selector」というつまみボタンがあり、これが CD になっていたためでした。そのため、CD の音はサンプリングできるが LP の音はできない状態だったのでした。
 さっそく、手元にあった「究極超人あ〜る」の1枚目の LP を全部取り込んでみたところ、大体 300 MB 強。うむうむたいしたことないね、と再生しようとしたら、窓添付のオーディオ・プレイヤーはメモリが足りないと抗議します。
 うろたえて「窓の杜」に走り、適当なフリー・ウェアをいただいてきましたがどうもうまくいきません。CD からサンプリングした短いものの再生は問題ないのですが、長いほうがどうも…
 しかたがないのでともかく CD-R に焼いてオーディオで聞いてみようと B's Recorder Gold で試してみたところ、サンプリングレートがいけなくて焼けないと拒否されました。44 kHz 16 bit Stereo のものしかオーディオ CD 規格で焼くことはできないのですね。
 しかたがないのでファイルを削除して、「究極超人あ〜る」の取り込みは将来の課題としました。

 しかしこれで LP の取り込みの目処がついたので、これから手持ちの LP の CD-R 化計画を発動することになりそうです。ううむ、また CD-R を仕込まなくては。

 こうなると、LP 全面取り込みのできるイメージ・リーダが欲しくなってきた今日この頃です。A3 まで取り込めるリーダは高いんだろうなあ…ううむ、94K かあ…PC 本体並みですね。
2001. 1.11へ

2001. 1. 4 (Thu.)
あけましておめでとうございます

 正月の休みは結構進展のある結果になってちょっち嬉しかったです。書くことはいろいろありますが:

 まず、フォントの話しからしましょうかね。
 わたしは、フォントのバリエーションが少ないのが以前からの悩みでした。同人のページでわかりますように、マンガを描くのに吹き出しの中の台詞のフォントに、なにかもう少し洒落たものを使いたかったのです。しかし、フォントは高いのよ。なんどもなんども店に足を運んで値段を見て溜め息をついていたのでした。
 さて去年の暮れ、年賀状も書かなくてはいけなくなってあせっていたときに、突然のように FAX のロール紙がなくなりました。わたしはうろたえて電気屋に走りました。その店はコンピュータもそこそこ扱っていてそうともまあまあある店でした。
 ロール紙は無事にうしゅできたのでついふらふらと店内を物色していましたら、年賀状作成そうとが何種類か出ていました。なにげなく手にとってわたしは驚愕したのです。どのそうともこのそうとも、フォントを 80 種類から 120 種類以上積んでいるではありませんか。しかもお値段は 10K どころかその半分以下のものがほとんど。わたしはたまたま現金を持っていたばっかりにためつすがめつしたあげく、「筆まめ11」をこうにうしたのでした。しかも、こうにうして分かったことには、このそうとはフォントだけのインストールまで可能だったのです。わたしは年賀状の作成そのものには興味がなかったのでますます嬉しくなりました。
 というわけで、今年の年賀状はとうとう時間もなく手抜きして、表書きまで印刷してしまいましたが、新規こうにうしたフォントのおかげでそんな変な見栄えにもならずほっと胸をなで下ろしたのでした(本当に自分の胸を…ああマンネリだ、マンネリだ)。

 年が明けて新年の大仕事はプリンタの移動でした。
 プリンタ・テーブルの VP-1000 の下の段に MD5000i を移動して、ネットワーク経由で印刷しようというのです。そのために、現在その場所に積み上がっているゴミというか必要なのか不要なのかそれすら不明なかずかずの品物をひとつずつ整理する必要が生じたのでした。
 少々めまいを感じながらともかく全部床に積み上げるという泥縄的手法で場所を作り、プリンタを移動、床のものを元プリンタのあった場所に移動させてともかくなんとかしました。
 続いて電源。壁のコンセントにサージ予防の器具をかませ、ISDN のケーブルを通して導通確認、あれやこれやと試行錯誤をくりかえして電源も終了。最後に LAN ケーブルの取り回しをして、これまでなんとなく放り出すように置いてあった HUB を、CD プレーヤーの上に両面テープで固定しました。

 そろそろ体力はともかく気力が限界に近づいていましたが、プリンタをセットアップしないと印刷できません。ローカルのプリンタを削除し、インストールのしなおしです。ドライバの CD-ROM がどこかに遊びに行っていたのでこれを捜してまた時間を潰し、再起動、やっとのことで作業は全部終わりました。
 もう、考える気力もない。

 しかし、印刷するものがあるから、ここまで作業を止めなかったのだよ、ぢつは。てなわけで手紙を印刷、封筒を印刷などしてやっとのことで全部の作業を終了したのでした。実に大変でした。

 これに関連して、コンピュータ関係の書籍で、もう古くて使い物にならなくなったものと、やる気のない C++、および JAVA 関係のものを、積み上げたら1メートルほども本棚から撤去したのですが、全然空きは増えませんでした。机や床に積み上げてあったものや、2列(前後)に入れてあったものを代わりに入れたためと思われます。これらの書籍は古書店に持っていくつもりですがはたして引き取ってもらえるものかどうか…なかには結構な値段のしたものが多く、引取拒否ならともかく、二束三文でもっていかれるのかと思うとうんざりします。
2001. 1. 5へ

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